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ごあいさつ

はじめまして。
このブログは私MAYAが、文章を書く練習をしつつ自分を見つめ直すために日々感じたことを書き散らす極私的なブログです。
独断と偏見、とんでもない勘違い、若干の毒を含む場合がありますのでご理解下さい。

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もし余命3ヶ月だったら

ときどき、自分の余命があと3ヶ月だったらどうだろう、と想像する。

死ぬときにあー楽しかったなと思いながら死ねるように趣味に打ち込む。悔いが残らないくらい仕事に打ち込んで一区切りつける。親しい人に連絡を取り、美味しい食事とお酒のある店で静かに話をする。

3ヶ月後に死んでも悔いが残らない選択を続けていくと、人生が充実する気がする。

昔は「有り金全部使って遊ぶ!」以外何も考えなかったことを思うと、私はずいぶん成長したのかもしれない。

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感想:『夜と霧』

夜と霧

原題を直訳すると「心理学者、強制収容所を体験する」。

私が体験した…というか現在進行形で体験している状況と著者の体験の壮絶さはもちろん比べるべくもないのだが、「人生の本当に辛い時期をどう過ごすべきか」というメッセージ、という観点で読んだ。

印象に残っているのは、被収容者の中に一部収容所生活を通じて内面的に深まっていくことができる人がいたということ、収容所での生活において正気を保つためには未来に目的を持つことが大切であったということ、そして、自分のポケットマネーから被収容者のための薬を買って来させていたSS隊員を解放後にユダヤ人たちがアメリカ軍からかばったという話。

辛い経験の中には安穏と生きていたら決して学べないことがたくさんある。そこで目の前の苦しみから逃げてしまうか、目下の自分のありようを真摯に受け止めて自分を高めていけるかは自分次第なのだと思う。

著者は、いつか自分が解放されて「強制収容所の心理学」について立派なホールで講演している姿を想像することで精神崩壊せずにいられたという。逆に希望を失った人たちは正気を失って死んでいったとか。今の私も「もう半年もすれば今の悩みにはすべて決着がついている」と考えると元気が湧いてくる気がする。また「自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない」ということで、やり残した仕事がある研究者や小さい子供を残してきた父親は、それが生き抜く力になったとか。著者も奥さんの存在が支えになっていたとのことだが、その奥さんは別の収容所で亡くなってしまったそうだ。

他の被収容者に暴力を振るう被収容者もいれば、パンや薬をくれた収容所の所長や現場監督もいた。「この世にはふたつの人間がいる、いや、ふたつの種族しかいない、まともな人間とまともではない人間と、ということを(余談だがこの一言は映画『マイ・ネーム・イズ・ハーン』の主人公の母親の台詞の元ネタだと思う…多分)」「まともな人間だけの集団も、まともではない人間だけの集団もない」どこでどんな人と接するときも心に留めておきたい言葉。

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ブッダに学ぶ

昨日ミャンマーのバガン遺跡の番組を見ていて、ふと、そういえばブッダが出家したのは29歳のときだったな、と思い出した。

今より平均寿命が短かった当時の感覚だと結構な年齢のはず。

もしかしてブッダは、年を取っても人生を変えられる、ということを身をもって示したのではないだろうか?

そういえばイエス・キリストが宣教を始めたのも30歳くらいのときだった。

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今を生きることと、長いスパンで考えること

明日のこと、未来のことを考えても暗くなるだけなので、未来のことは考えない。今日できることをせいいっぱいやって、今を楽しむだけ。

同時に、今から5年後、10年後の自分が今の自分を見たらどう思うか考えてみる。あの頃は未熟だったけれどあれからだいぶ成長できた、あの頃は大変だったけれど今はこうして生きている、と思えるのではないか。

矛盾するようだけれど、この2つを組み合わせれば悩みは消える気がする。

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