忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

友人の結婚と破局

Facebookを見ていると、高校の同級生の既婚率の高さに驚く。プロフィール画像はウェディングドレスの写真でいっぱい。赤ちゃんが産まれた人もいる。

サークルの仲間も年の近い親戚も既婚者だらけ。今時の若い人は結婚しないというのは嘘なんじゃないかと最近は疑っている。


その一方で、大好きな彼女に振られたと落ち込んでいる友人がいた。

こういうときどうやって慰めるのが正解なのか分からない。ただ、失恋したときの心理的な反応は大切な人を亡くしたときに似ているらしい。死生学の専門家、アルフォンス・デーケン氏の著書に、フランスのことわざで「別れは小さな死」というのがある、という話も書かれていた。それくらい辛くて当然ということだろう。

彼にはとにかく体に気をつけるよう伝えた。

拍手[0回]

PR

ヴェルディのレクイエム

朝ご飯を食べて身支度をしながら、ヴェルディのレクイエムを聴く。

これも激しい曲で、モーツァルトに輪をかけて「おちおち死んでいられない」気分にさせられそうな曲調。実際発表されたときから華麗すぎてレクイエムらしくないと批判されていたらしい。

しかしWikipediaの記事を読むと、どうやらこのレクイエムはヴェルディが尊敬していた作家が亡くなったときに作られたものらしい。

大切な人を亡くしたとき、悲嘆のプロセスの一環として「怒り」が出てくることはよくあるらしい。神様への怒り、身近な人や医療関係者への怒り、故人への怒り、自分への怒り。

ヴェルディも尊敬する人を亡くしたやり場のない怒りを曲にぶつけたのかもしれない。

しかしヴェルディのレクイエムもモーツァルトのレクイエムも、テレビで衝撃的な場面のBGMによく使われる箇所があるのがちょっと面白い。(バッハのトッカータとフーガがショッキングな場面で使われるのは嘉門達夫のせいのような気がする(笑))

拍手[0回]

レクイエム・レクイエム

フォーレのレクイエムを気に入ったので、YouTubeで公開されていたモーツァルトのレクイエム全曲も聞いてみることにした。ゆっくりあの世に旅立っていく魂を表したようなフォーレのレクイエムと違って、こっちは燃え盛る地獄の業火のようにエネルギッシュ。モーツァルトは自分も死期が迫っている中、よくこんなパワフルな曲の構想を練れたものだ。さすが天才。しかし読書用BGMには不向きで、またもし自分のお葬式でこの曲をかけられたらおちおち死んでいられなくなりそうだ。

そんなことをつぶやいていたら、クラシックに詳しい先輩の旦那さんから、ヴェルディ、ベルリオーズ、三善晃、デュリュフレ、ドヴォルザークもおすすめというコメントをいただいた。世の中には聞いても聞いても終わらないくらいたくさんのレクイエムの名曲がありそうだ。

ハッ、終わりがないのが終わり…それがレクイエム・レクイエム!?

拍手[0回]

お葬式

結婚式がクリスチャンでなくてもキリスト教式で出来たり、バリ人でなくてもバリ式で出来たりするなら、お葬式も仏式じゃなくていいんじゃないの?と若干の皮肉を込めて思う。

賛美歌の響くキリスト教式のお葬式。ガムランの音色と共に賑やかにあの世に送り出されるバリ式のお葬式(バリに持っていくなら遺骨にしてからでないと無理そうだが)。

拍手[0回]

宗教曲偏愛

私はキリスト教の宗教曲が好きだ。プロテスタントの中高一貫校で教育を受けたからだと思う。自分で歌っていたこともあったが下手くそで上達しなかった。それでも聞く方は好きでiPadに入れたのを時々聞いている。

今日、何となく気になっていたフォーレのレクイエムをiTunesからダウンロードした。

静かで邪魔にならなくて、読書用のBGMにいい。レクイエムとしてはイレギュラーな構成らしいが、この静かさはしんみりと故人の魂を見送るのにもってこいではないだろうか。

それともう1つ、アヴェ・マリアばかりを集めた合唱のアルバムをダウンロードした。

アヴェ・マリアはカッチーニのものが一番好きなのだが、今日何気なくWikipediaで調べてみたら、このアヴェ・マリア、本物のカッチーニの作品ではなく20世紀になってからロシアの作曲家が作ったものだとか。まるで安土桃山時代の銘品だと思っていた茶碗が昭和になってから焼かれた物だったと知ってしまったような気分だが、名曲なのに間違いはない。

拍手[0回]