まんざらでもない瞬間
管理人MAYAが無責任に日々のよしなしごとをつぶやくブログ。
続くブログ、続かないブログ
ブログを長続きさせるコツは何だろうか?
これについては色々なブロガーの方が既に書いて下さっている。毎日続けた方がいいという方、そういう縛りを設けない方がいいという方、その方法論は人それぞれだ。ここでは私が過去の経験から個人的に感じたことを書いていこうと思う。
自己紹介にも書いたが、私がこれまでに作ったブログは2つある。1つは6年前にごく短期間運営してやめた日記ブログ、もう1つは3年前に立ち上げて今も続いているジョジョの同人ブログだ。
この2つの何が違っていたのか考えてみると、3つの大きな違いが浮かび上がってくる。1つめはブログのシステムが私に合っていたか、いなかったか。2つめはコンセプトを定めたか、定めなかったか。3つめは自分を必要以上に良く見せようとしていたか、していなかったかだ。
1つめの日記ブログはアメブロを使っていた。アメブロユーザーの方には申し訳ないが、私にはアメブロのSNSっぽいシステムがどうも合わなかったのだ。いつ誰が来たか気にしないといけない。ピグを使ったゲームにもいまいちはまれなかった。SNSっぽいブログだったらブログっぽいSNSのmixi(当時Facebookはまだ普及していなかった)でいいじゃん、という気がした。この時の反省を踏まえてジョジョのブログはFC2を利用した。FC2にもSNS的な機能はあるが、アメブロより控え目で私にはこちらの方が合っていた。
さらに、ジョジョのブログは言うまでもなく「ジョジョ好きの人に読んでもらうために、ジョジョの二次創作を載せる」と初めから決まっていたが、アメブロの方はコンセプトが決まっておらず、特に何のためというわけでもなく、立ち上げ直前に行った沖縄の思い出話や、普段の暮らしの中で考えたこと、もし次にまた旅に出ることになったら旅日記でも書こうかなぁ、というくらいのゆるい気持ちで始めたため、軸がぶれてしまい、何を書けばいいのか途中でよく分からなくなってしまった。
また、アメブロの方では、日々の雑記の中で、人をハッとさせるようないい言葉を書きたい、という大それたことを当初考えていた。今よりさらに人間的に幼稚で、人生経験も少なかった私にそんな格言めいたものが書けるわけがない。旅日記の方も、人が感動するようないいものが書きたいと思っていたが、そもそも遊んで暮らせるような身分でもないのに旅に出ることがそうちょくちょくあるわけでもない。必要以上に記事の内容のハードルを上げてしまった結果、息切れしてしまったのだ。一方、FC2のジョジョのブログは、つまらない物を書かないようにしようという意気込みはあるものの、思いついた話を思いついた時にだらーっと更新するだけである。特に自分を良く見せようとも思わない。
以上がこれら2つのブログの相違点である。これらを踏まえると、ブログを長続きさせるコツは
「自分の好みに合ったブログサービス(自分でサーバーをレンタルしてドメインを取得する場合は除く)で、何のために何を書くか定めておき、等身大の内容で更新すること」
となるだろう。
翻ってこのブログはどうだろうか。
FC2では2つ以上ブログを持てない(アカウントを複数作れば不可能ではないがアカウントの切り替えが面倒である)ため、たまたま友人が利用していた忍者ブログを利用し始めた。私に合っているかどうかはこれから分かるだろう。「何を書くか」こそ定まっていないが、「文章の練習のため」「自分の内面を整理するため」という目的はある。文章の練習という目的がある以上ぐちゃぐちゃな構成の記事は載せないようにしているが、自分を良く見せようとは全く考えていない。続くかどうかはこれからのお楽しみである。
ちなみに以前作ったブログ2つには、「更新頻度は特に決まっていない」という共通点があった。このブログは可能な限り毎日更新しようと考えているが、これが吉と出るか凶と出るかは分からない。
これについては色々なブロガーの方が既に書いて下さっている。毎日続けた方がいいという方、そういう縛りを設けない方がいいという方、その方法論は人それぞれだ。ここでは私が過去の経験から個人的に感じたことを書いていこうと思う。
自己紹介にも書いたが、私がこれまでに作ったブログは2つある。1つは6年前にごく短期間運営してやめた日記ブログ、もう1つは3年前に立ち上げて今も続いているジョジョの同人ブログだ。
この2つの何が違っていたのか考えてみると、3つの大きな違いが浮かび上がってくる。1つめはブログのシステムが私に合っていたか、いなかったか。2つめはコンセプトを定めたか、定めなかったか。3つめは自分を必要以上に良く見せようとしていたか、していなかったかだ。
1つめの日記ブログはアメブロを使っていた。アメブロユーザーの方には申し訳ないが、私にはアメブロのSNSっぽいシステムがどうも合わなかったのだ。いつ誰が来たか気にしないといけない。ピグを使ったゲームにもいまいちはまれなかった。SNSっぽいブログだったらブログっぽいSNSのmixi(当時Facebookはまだ普及していなかった)でいいじゃん、という気がした。この時の反省を踏まえてジョジョのブログはFC2を利用した。FC2にもSNS的な機能はあるが、アメブロより控え目で私にはこちらの方が合っていた。
さらに、ジョジョのブログは言うまでもなく「ジョジョ好きの人に読んでもらうために、ジョジョの二次創作を載せる」と初めから決まっていたが、アメブロの方はコンセプトが決まっておらず、特に何のためというわけでもなく、立ち上げ直前に行った沖縄の思い出話や、普段の暮らしの中で考えたこと、もし次にまた旅に出ることになったら旅日記でも書こうかなぁ、というくらいのゆるい気持ちで始めたため、軸がぶれてしまい、何を書けばいいのか途中でよく分からなくなってしまった。
また、アメブロの方では、日々の雑記の中で、人をハッとさせるようないい言葉を書きたい、という大それたことを当初考えていた。今よりさらに人間的に幼稚で、人生経験も少なかった私にそんな格言めいたものが書けるわけがない。旅日記の方も、人が感動するようないいものが書きたいと思っていたが、そもそも遊んで暮らせるような身分でもないのに旅に出ることがそうちょくちょくあるわけでもない。必要以上に記事の内容のハードルを上げてしまった結果、息切れしてしまったのだ。一方、FC2のジョジョのブログは、つまらない物を書かないようにしようという意気込みはあるものの、思いついた話を思いついた時にだらーっと更新するだけである。特に自分を良く見せようとも思わない。
以上がこれら2つのブログの相違点である。これらを踏まえると、ブログを長続きさせるコツは
「自分の好みに合ったブログサービス(自分でサーバーをレンタルしてドメインを取得する場合は除く)で、何のために何を書くか定めておき、等身大の内容で更新すること」
となるだろう。
翻ってこのブログはどうだろうか。
FC2では2つ以上ブログを持てない(アカウントを複数作れば不可能ではないがアカウントの切り替えが面倒である)ため、たまたま友人が利用していた忍者ブログを利用し始めた。私に合っているかどうかはこれから分かるだろう。「何を書くか」こそ定まっていないが、「文章の練習のため」「自分の内面を整理するため」という目的はある。文章の練習という目的がある以上ぐちゃぐちゃな構成の記事は載せないようにしているが、自分を良く見せようとは全く考えていない。続くかどうかはこれからのお楽しみである。
ちなみに以前作ったブログ2つには、「更新頻度は特に決まっていない」という共通点があった。このブログは可能な限り毎日更新しようと考えているが、これが吉と出るか凶と出るかは分からない。
PR
うまくいく恋愛、いかない恋愛
そんなに恋愛経験が豊富ではないので偉そうなことは言えないのだが、過去のうまくいかなかった恋愛とうまくいった(いっている)恋愛を比べてみると、恋愛をうまくいかせるために大切なことは「相手の欠点を無理に直そうとせず、こいつはこういうやつなんだと受け入れること」「マニュアルに頼らず相手を見ること」この2点のように思う。
人の欠点なんてそう簡単に直るものではない。相手に「お前はここが駄目だから直せ」と言ったところで思惑通り直る確率は低い。どうしても許せない欠点がある相手とは別れた方がお互いのためである。
また、恋愛マニュアルというやつもあてになるようでならないものである。家電品やパソコンのように取説の通りにいじれば正しく動く大量生産品と違って、この世に2人といない人間同士が出会って関係を構築するのだから、カップルの数だけ違う関係性があるのが当たり前なのだ。マニュアルに首っ引きになっていたせいで相手が見えなくなって関係を壊してしまうなんて笑い話にもならない。普遍的なコツというかうまくやれる秘訣があるとすれば、「相手とちゃんと向き合い、思いやりを持って接する」というシンプルな答えに落ち着くのではないだろうか。
もちろんこの記事だってただの私の個人的な経験に基づいた戯れ言だから、この記事を鵜呑みにしてあなたの彼氏や彼女の気持ちを蔑ろにするなんていう馬鹿なことはしないでいただきたい。
人の欠点なんてそう簡単に直るものではない。相手に「お前はここが駄目だから直せ」と言ったところで思惑通り直る確率は低い。どうしても許せない欠点がある相手とは別れた方がお互いのためである。
また、恋愛マニュアルというやつもあてになるようでならないものである。家電品やパソコンのように取説の通りにいじれば正しく動く大量生産品と違って、この世に2人といない人間同士が出会って関係を構築するのだから、カップルの数だけ違う関係性があるのが当たり前なのだ。マニュアルに首っ引きになっていたせいで相手が見えなくなって関係を壊してしまうなんて笑い話にもならない。普遍的なコツというかうまくやれる秘訣があるとすれば、「相手とちゃんと向き合い、思いやりを持って接する」というシンプルな答えに落ち着くのではないだろうか。
もちろんこの記事だってただの私の個人的な経験に基づいた戯れ言だから、この記事を鵜呑みにしてあなたの彼氏や彼女の気持ちを蔑ろにするなんていう馬鹿なことはしないでいただきたい。
パンがなければお菓子を…
頭が痛くて食欲がなかったが、夜中に空腹にならないように食事に行った。(自分で料理する気力がわかなかったので)
すると、美味しそうなフレンチトーストが目に入った。生クリームやアイスが乗った、いかにもカロリーが高そうなやつ。
食べたいけれどカロリーは怖いしこれを食べてしまうと満腹になって普通の食事が入らない。お金もない。どうしよう。
悩んだ結果、このフレンチトーストを夕食代わりにすることにした。
子供の頃なら「甘い物ばかり食べないでちゃんと食事しなさい」と怒られていただろうが、もういい大人だからたまにはこんなのも悪くないよね。
美味しかったです。ごちそうさまでした。
すると、美味しそうなフレンチトーストが目に入った。生クリームやアイスが乗った、いかにもカロリーが高そうなやつ。
食べたいけれどカロリーは怖いしこれを食べてしまうと満腹になって普通の食事が入らない。お金もない。どうしよう。
悩んだ結果、このフレンチトーストを夕食代わりにすることにした。
子供の頃なら「甘い物ばかり食べないでちゃんと食事しなさい」と怒られていただろうが、もういい大人だからたまにはこんなのも悪くないよね。
美味しかったです。ごちそうさまでした。
人が死ぬ夢
人が死ぬ夢を見た。私の尊敬する人。その人の名前を書くと縁起でもないと怒られそうなので名前は伏せる。
夢の中で、その人は旅行先のイギリスで貴族の館を見学中に突然倒れ、亡くなった。常識的に考えてまだ亡くなるような年ではない。
私はその人の訃報を聞いたとき、あまりにも突然で、悲しみよりも先に、ただただ「嘘だろ…」と固まった。やがてその人の死因など諸々の情報を聞いても妙に無感動なままだった。
(夢の中で)どうせこれは夢だ、と思って(夢の中で)一眠りして、起きたら(夢の中で)本当にその人が亡くなっているのを知り、ようやく私は悲しくなった。お葬式に参列し(本当は私ごときが気軽にお葬式に行けるような人ではないのだが)、その人が眠っているような優しい表情で棺桶の中に横たわっているのを見て、もうすぐその人の肉体がなくなってしまうことを思い、わあわあ泣いた。
あまりにも生々しい夢だったので、まさか、と思って実際に目が覚めてからニュースを検索してしまった。当然その人の訃報記事はなかったので安心した。
調べたところ、有名人に限らず人が死ぬ夢は吉夢なのだそうだ。
確かに地道な努力の大事さは最近とみに感じるようになってきている。
そして、夢の中で亡くなったその人もまた、地道な努力を積み重ねて今の地位にたどり着いた人であることを知っている。
その調子、とその人が背中を押してくれているのかもしれない。
夢の中で、その人は旅行先のイギリスで貴族の館を見学中に突然倒れ、亡くなった。常識的に考えてまだ亡くなるような年ではない。
私はその人の訃報を聞いたとき、あまりにも突然で、悲しみよりも先に、ただただ「嘘だろ…」と固まった。やがてその人の死因など諸々の情報を聞いても妙に無感動なままだった。
(夢の中で)どうせこれは夢だ、と思って(夢の中で)一眠りして、起きたら(夢の中で)本当にその人が亡くなっているのを知り、ようやく私は悲しくなった。お葬式に参列し(本当は私ごときが気軽にお葬式に行けるような人ではないのだが)、その人が眠っているような優しい表情で棺桶の中に横たわっているのを見て、もうすぐその人の肉体がなくなってしまうことを思い、わあわあ泣いた。
あまりにも生々しい夢だったので、まさか、と思って実際に目が覚めてからニュースを検索してしまった。当然その人の訃報記事はなかったので安心した。
調べたところ、有名人に限らず人が死ぬ夢は吉夢なのだそうだ。
・有名人の夢は、地位や名誉のシンボル。しかし、地道な努力ではなく華やかさのみのイメージをもつ。 ・有名人の夢は、自分自身の見栄や虚栄の心の表れであり、夢を実現させるためには地道な努力が必要なんだという夢からのメッセージ。 ・そんな有名人が死ぬ夢は、自分自身の見栄や虚栄心、傲慢さがなくなっていくことを表す。 ・努力の大切さに気付いているのかもしれない。・ただし、好きな有名人が夢に出てくる場合は、ただの願望夢であることが多い。とのこと。
確かに地道な努力の大事さは最近とみに感じるようになってきている。
そして、夢の中で亡くなったその人もまた、地道な努力を積み重ねて今の地位にたどり着いた人であることを知っている。
その調子、とその人が背中を押してくれているのかもしれない。
生きてるだけでだいたいOK
幼稚園児の頃からの付き合いの幼なじみとのやり取りの中で出てきた話題。
彼女は学生時代は将来バリバリ働くことを目指す意識の高い学生だった。
しかし就職してから人間関係が元で鬱を発症し、休職。そのまま退職することになった。仕事を続けられなかったことが情けなく思えてとても悩んだという。
現在彼女は専業主婦として子育て中。鬱は完治した。意識の高い学生の頃の理想とはかけ離れた生活だが、特にそのことで悩んではいないという。
「夢破れても元気で生きてれば100点満点なように世の中ってできてる」と彼女は言っていた。
私も学部から修士の途中まではそれなりに意識の高い学生で、研究の世界でのし上がってやろうという野望を持っていた。今の私はその頃の自分の理想とはほど遠く、これから先もあの頃の理想に近づくことはないであろう。過去の自分に今の自分を見せたら何と言うだろう、と思って死にたくなることもある。
でも、彼女の言うように元気で生きていられればそれでいいのかもしれない。
そういえば心理学者の河合隼雄の著書『こころの処方箋』で、
「崖の途中で草にしがみつき、何とか上へ登ろうともがき苦しんでいたが、思い切って両手を離すと、何のことはない草地に軟着陸し、そこには新しい世界がひろがっていた」
というたとえ話があった。
私も崖によじ登るのをやめて手を離さざるを得なくなる日が来るかもしれない。それでも絶望せずに生きてさえいれば、たぶんそれをきっかけに新しい世界を見ることができるのだろう。マギー司郎ではないが、「生きてるだけでだいたいOK」。
プロフィール
HN:
MAYA
性別:
非公開

