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悲嘆反応

大切な人を亡くしたとき、私はひとしきり泣いた後、躁状態に近くなる。そしてやたらと饒舌になる。誰かに亡くなった大切な人のことを話したい。亡くなった人のために何かしてあげたい。

祖父が亡くなったときは、祖父との思い出を幼少期から10代に至るまで全部文章化しようとした。中島らもさんが亡くなったときは、レクイエムじみた童話を書いた。千石先生が亡くなったときは、ポエムを書こうとしてすんでの所でやめた。人間に限らず、飼っていた犬が死んだときも、ものすごいスピードでデジカメに入っていた犬の写真を全部現像したり、自転車を飛ばして遺体が傷まないように大量の氷を買いに行ったり、普段は考えられない早さで動いた。

そうしてその人のことを記憶に焼き付けようとしているのか、悲しみで潰れてしまうのを無意識のうちに防ごうとしているのか分からない。ひねくれた見方をすると、「大切な人を亡くした可哀想な私、その人のために悲しむ優しい私」に酔っているのかもしれない。

こんな反応はおかしいのかと思ったら、心理学の本に正常な悲嘆反応として言語活動が活発になるというのが載っていた。すると私の反応は別に異常ではないのかもしれない。

また、どこかでいつまでもそうやって亡くなった人のことを悼んでいる状態から立ち直りたくないという思いがあるような気がする。単に躁状態で気持ちよくなっているからなのかと思ったら、悲しみは亡くなった人と共にいることで、悲しみの中にい続けることでずっとその人と共にいたいという思いがあるからだと分析している人がいた。

その人を心の中で弔うのが終わったと思うまで、心ゆくまで弔いの務めを果たせばいいとそのサイトには書かれていた。

ひとまず誰かを亡くしたときの私の反応が異常ではなくて安心した。

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