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感想:『死別の悲しみに向き合うーーグリーフケアとは何か』

死別の悲しみに向き合うーーグリーフケアとは何か

身近な人の死に際して、個人の存在を持ち続けながらその後いかに生きていくべきか、また死別の悲しみの中にある人に際して、周りは何ができるのか論じた一冊。

大切な人を失った後、深い悲しみから立ち直る(というか悲しみに“適応”する)ことができないと心身の健康を害してしまう。大切なのは悲しみを悲しむこと、悲しみから目を背けないこと。

そして周りの人たちは、遺族の話を否定したり訂正したりすることなく傾聴すること。故人に関わる記憶を共有すること。

この本で興味深かったのは、法事という形で弔いをするのが死後何十年にもわたり続くのは日本だけであり、それは故人の存在がすっかり忘れ去られて社会的な死を迎えるのを遅くし、遺族の悲しみを癒やす効果があるということ。そういえばうちでお世話になっているお坊さんもそんな話をしていたような気がするが、法事を面倒くさがらずに積極的にやろうという気になった。

また、大切な人の死を前にして表される感情やそれらへの向き合い方は人によって様々であり、ひとくくりにできないため、「今の状態は決して異常ではない」と認識することが立ち直りに有効であるということも、私の中で今までモヤモヤしていたものを吹っ切るのに役立った。私は大切な人を亡くしたときに妙に躁的になることがあり、これは「大切な人を失った可哀想な私」に酔っているだけなのでは、と後ろめたく思っていたが、これは躁的防衛といってままあることらしい。また、去年飼っていた犬が死んだとき、癌での闘病の末の死だったので、ああこれで犬も苦痛から解放されたし人間も介護の辛さから解放された、と妙にほっとしたのも、私が薄情者だからなのかと思っていたが、これもときどき見られることらしい。私も「異常ではない」と分かったことで救われたのだ。

以下、ちょっと気になった豆知識。

・同じイスラム社会でも、エジプトでは人が亡くなったとき悲しみの雰囲気に包まれることが多かったのに対し、バリ島では笑いや陽気なムードが見て取れた(バリ島のお葬式は明るくてにぎやからしい。ちょっとうらやましい。ただ、バリ島にはムスリムもいるが元々バリ・ヒンドゥーの文化圏のはずなので必ずしもイスラム社会ではない気が…)

・大切な人が災害や遭難、犯罪被害により生死不明になることを「あいまいな喪失」と呼ぶ(確かその人が生命はあっても認知症などで周りの人のことを覚えていられなくなってしまった場合も「あいまいな喪失」と呼ばれていた気がする。先日マレーシア航空機の一部が引き上げられてニュースになったが、あの事故の遺族も「あいまいな喪失」を体験したことになる)

・遺体の血液と防腐剤を入れ替え、外傷ややつれを直してきれいな外見で長期間保つエンバーミングという技術が近年注目されている。元々は南北戦争の折アメリカで発展した技術(以前通っていた英会話スクールのアメリカ人講師が「おくりびと」を「エンバーマーの映画」と言っていたが、ちょっとニュアンスが違う気がする)

・火葬にした遺骨を遺族がお箸で拾い上げる「骨揚げ」は、かつて土葬が主流だった時代、死後7年目に埋葬した遺体を地表に並べ、白骨化の状況を確認する儀礼が元になっている(沖縄の洗骨と似ているのが面白い)

・大切な人への最後のメッセージを残すことが遺族の救いにつながるケースが見られる(日航機墜落事故のとき、乗客の男性が残したメモが例に挙げられていた。映画「沈まぬ太陽」を見たときは、そのメモを書くシーンがあまりに悲しくて見ていられなかったが、残された娘さんはそのメモのおかげで心の整理がついたという)

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